鯉山を飾るタペストリーは、ブラバン・ブリュッセルの略号「B.B」という文字が発見されたことで現在のベルギー・ブリュッセルで製作されたことが明らかになっています。さらに「TSEA」というマークから1580年から1620年ごろの間にニケイズ・アエルツという職工によって作られた5枚シリーズの1枚であることがわかっています。
日本にきた経緯は定かではありませんが17世紀(約400年前)頃と推測されています。その後、5枚のうち2枚は加賀藩・江戸幕府の手に渡り、残りの3枚のタペストリーは文化文政の頃に会津藩を通じて京都の天寧寺に運びこまれ換金のため売却されました。
その1枚が鯉山町に他の2枚も裁断され、それぞれ買いとられました。そして、鯉山のタペストリーは大工のノミで大小9枚に押し切られ裏面を名物裂で覆い、鯉山を飾ることとなりました。
この名物裂をつけたおかげで、裏面が褪色せず原作のままの色彩が今日まで残ることとなりました。諸外国に現存するものは表裏ともに褪色しているので、鯉山のタペストリーは400年前と同じ色を見ることができます。さらにトロイア戦争物語を描いたタペストリーは日本にしか残っておらず。文化財としての価値の高さが伺われます。
●5枚のタペストリーの行方●
■「トロイア王子パリスとスパルタ王妃ヘレネ-の出会い」
金沢前田育徳会 壁掛として現存
■「トロイア王子へクトールと妃アンドロマケー、
息子アスチュアナクスの別れ」
長浜曳山祭「鳳凰山」見送幕
祇園祭「鶏鉾」見送幕
祇園祭「霰天神山」前掛 として現存
■「トロイア王プリアモスと王妃カペーの祈り」
祇園祭「鯉山」見送幕 前掛 胴掛 水引 として現存
■「アキレウスのもとにヘクトールの遺体返還を求める
プリアモス王」
東京芝増上寺壁掛 明治42年焼失
■「トロイア陥落図」
大津祭「月宮殿山」見送幕
大津祭「龍門滝山」見送幕
祇園祭「白楽天山」前掛 として現存