日本三大祭りの一つである祇園祭は千年以上の歴史をもつ祭りであり、
その長い年月の間にはさまざまな苦難と、変化を繰り返しながら、
現在へと受け継がれてきました。
祇園祭の象徴とも言える山鉾は幾度も戦火や大火にあいながら、
各山鉾町の宝として復元や新調を行い、時代ごとの姿を表してきました。
祇園祭といえば宵山や山鉾巡行が有名ですが、実際は7月1日から一ヶ月間、
八坂神社や四条通・室町通・新町通を中心に、様様な行事が行われています。


平安時代

9世紀の中頃、現在の祇園祭の原型となる祇園御霊会が始められました。
10世紀後半になると傘鉾(剣鉾)が毎年巡行するようになり、
やがて無骨なる者が標山を引き出し物議をかもすこととなりました。
そして呼び名も祇園会と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代

政治の中心が京都から関東に移りますが、祇園会は風流や傾奇(かぶき)
と評される趣向をこらした「つくり山」が登場するようになりました。

室町時代

政治の中心が京都に帰ると祇園会は足利将軍家も楽しみにするほど、
盛大なものへと発展し、「さき祭り31基・あと祭り27基」が参加していたようです。
1467年から始まった応仁の乱により山鉾は町ともども焼けてしまい、
その間は祇園祭りも中止を余儀なくされてしまいました。
その後、祇園祭も再興の気運は京都の町の復興とともにが徐々に高まり、
1500年には「さき祭り26基・あと祭り10基」がくじ順にて巡行するようになりました。
33年には「神事これなくとも山鉾渡したし」という言葉が発せられ、
祇園祭が現在のような町衆による祭りとしての形成されました。
巡行に参加する山もこれまでは不確定でしたが、この時期に固定したようです。

江戸時代

政治の中心がまた関東へ移ったこの時代は、大火との戦いでした。
宝永・天明・元治の大火で多くの山鉾が被害を受けました。
特に禁門の変による「どんどん焼け」と呼ばれた元治の大火では
ほとんどの山鉾で被害がでました。

近代(明治〜昭和戦前)

「どんどん焼け」による被害から徐々に復興し、
1872年に巡行が再開されるようになりました。
この年より太陽暦を採用することになり、さき祭りが6月7日から7月17日、
あと祭りが6月14日から7月24日と祭日は変更されました。
太平洋戦争によって1943年から1950年まで巡行は中止となりました。

現代(戦後・平成)

戦争終了後、1946年(昭和21)から復活しコースの変更も行われました。
1966年(昭和41)には交通規制を理由にさき祭とあと祭が合同され
現在のかたちとなり7月17日に32の山鉾が巡行するようになりました。

1日
吉符入り(祇園祭りの開始)
2日
くじ取り式
8日
鯉山町吉符入り
10日
鉾建て開始 / 神輿洗い
12日
山建て開始 / 曳き初め(四条通・室町通)
13日
曳き初め(新町通)鯉山 町席飾り
14日
宵々々山
15日
宵々山
16日
宵山
17日
山鉾巡行神幸祭
24日
花傘巡行 / 還幸祭
28日
神輿洗い
31日
疫神社夏越祭